例えばあるスポーツに関して、全くの初心者が二人いたとします。二人とも同じ指導者に教えられ、同じ時間の練習を行ったとします。はたして、この二人は平等なスタートを切れたと言えるでしょうか?
 実はこの答えはNOです。これについては、もしかしたら意識している人は殆どいないのではないかとすら思います。
 スポーツは基本的に素直な人ほど早く伸びていきます。そしてその素直さは、育てられた環境に著しく左右されます。
 大人はこどもよりも多くの知識を持っています。だから、こどものやる事に対して未熟な面ばかりが目に付いてしまいます。そして、ついつい「ダメだし」をしてしまいます。ひどい場合になると、失敗したことを怒ってしまう人が居ます。これがコーチングについて無知な人がコーチを務めるチームなどになると、練習時間中ひたすら怒鳴りまくり、罵声を浴びせるまくるコーチすら存在します。
 これらの行為にさらされたこどもは、素直な気持ちを持てなくなります。表面上は素直に見えても、心の底では素直に聞いているわけではありません。ただ、怒られたくないから聞いているだけです。

 このように失敗に対して否定の言葉をかけられ続けた人は、失敗を恐れるようになります。だから、他人のアドバイスに対して素直に受け入れる事が出来なくなります。何故ならば、アドバイスを聞き入れるという事はそれまでの自分が間違っていたという事を認めることになるからです。そしてそれは、否定の言葉をかけ続けられたこどもには耐えられないのです。このような子が行動を変えるのは、自分が恐怖している人に怒られた時だけです。そこに自発的な行動はほとんど見られなくなります。
 また、仮にアドバイスを受け入れたとしても、それで失敗してしまったら、アドバイス通りにできなかったら怒られてしまうかもしれないという恐怖も味わいます。もしそこでアドバイス通りにやろうとして失敗してしまったこどもを怒ったりすれば、なおさら恐怖感は増していくでしょう。

 スポーツで大成する人と上手くなれない人の差はどこにあるのか。私は才能なんてあやふやなものではなく、幼少期にどれだけ肯定感を持たせることが出来るかにかかっていると思います。
 特に幼いこどもは、技術的に未熟なことは当たり前ですし、集中力を持続させることも難しいです。また、同じことの繰り返しにはすぐに飽きてしまいます。大切なのはそういったこどもに寄り添い、決して否定の言葉をかけない事。ミスをしたならばミスをするほど難しい事にチャレンジしたことを褒めてあげる事です。
 そうすれば、こどもは失敗してもいいんだという事を自然と受け入れる事が出来るようになります。そうなればどんどん難しい事にチャレンジが出来るようになりますし、誰かからのアドバイスを自然に受け入れる事が出来るようになります。逆境に陥った時も、自ら困難に立ち向かう事が出来るでしょう。失敗しても周囲は自分の事を理解しくれるという事を、そして失敗したからといって見放されない事(失望されないこと)を理解しているからです。
 そしてそのようなこどもは、自分が取り組んでいるスポーツが大好きになるでしょう。

 逆に失敗をその都度怒ってしまったらどうなるでしょう。特にそれが自分の家族だったら?こどもは褒められるために、もっと言えば怒られない為だけにそのスポーツに取り組んでしまうでしょう。そして、なるべく失敗しないように行動し、もし失敗してしまったらその失敗をどうにかして隠そうとします。もし失敗することも隠すこともかなわないならば、どうすれば極力怒られないかの理由探しを始めます。
 テニスにおいてこども達にコーチをするときに、アドバイスを送ると「いや、違うんです!」という言葉が反射的に出てくるこどもが居ます。私は当時はそれがなぜだかわかりませんでした。そして、実際に上手く行っていない事を説明し、とにかく失敗してもいいからやってごらんと言っていました。
 今から考えると冷や汗が出ます。いったいあのこどもたちは、どれだけの恐怖を感じていたのだろうと。そして、これまでどれだけ否定の言葉をかけ続けられてきたのだろうと思うと暗澹とします。きっとあの子たちにとっては、そのスポーツは決して楽しい物ではなかったのではないでしょうか。

 ここまで言えば言いたいことは分かると思います。
 人は、才能が無いから上手くなれないのではありません。勿論今現在において完璧な理論が構築されたスポーツなど無いはずなので、どうしても才能という言葉で表現せざるを得ない領域もあります。けれど、それは一般の人が思っているよりもはるかに小さい領域であり、大抵のケースにおいて後天的な物(学習)が決定すると私は考えています。
 つまり、才能が無いからではなく才能が無いと周囲が寄ってたかって貶めるからこそ、その実力を伸ばせないのです。特に、もっとも近しい家族から否定の言葉をかけられればそれは物凄い威力を持ってこどもの意欲を奪います。
 だから、たとえ身体的な条件が同等でも、コーチや練習環境が同じでも、これまで受けた教育により伸びるスピードは全く変わってしまいます。そしてそれは競技に限った話では無く、あらゆる面での教育が影響します。初心者ですらスタートラインが違うというのはそういう意味です。
 そして、成長が早い子に対して才能があるとほめたたえ、プロになろうものなら周囲は大騒ぎするでしょう。一方で成長の遅い子は、あなたに才能は無いと言って聞かされ、ひどい場合には競技をやめる事すら示唆されたりします。これまで散々否定の言葉をかけられた子に、追い打ちをかけるように否定の言葉が積み重なるでしょう。
 けれど、その成長の遅い子は、それだけ否定の言葉にさらされても結局その競技をやめることなく続けていたのなら、もしかしたらプロになって大成した子よりも大きな事を成し遂げているかもしれないという事を認識すべきです。
 それ位にスタートラインが違うのです。100mの競争を行うのに、一方の子は会場まで車で送ってもらえて、もう一方の子は40kmも離れた場所から走って辿り着かなければならないかもしれないという事です。
 けれど、そんなことを社会は分かってくれません。ほめたたえられるのは、あくまで結果を出した人だけです。

 だからこそ自分が親身になってあげられる人、例えば自分のこどもが居たり、友人だったり、教え子だったりが居る場合には、失敗してもその人の事をきちんと認めてあげてください(もちろん失敗そのものを肯定するということではないですよ)。
 厳しい指導者には、叱って伸ばすという事を言う人が居ます。ひどいケースだと、体罰に耐えられないような人間は伸びないという人やほめたら調子に乗って手に負えなくなると言う人すらいます(これが全日本レベルですらいるのですから勘弁してほしいですが)。けれど、そういった指導では決してその人は成長していません。もちろん、技術的な事はある程度身につくでしょうし、多少は勝てるようにもなるでしょう。あるいは、規律を守る事が難しい低学年時ならば相当に良い成績を残せるかもしれません。また不幸なことにその人に忍耐力が有れば、オリンピックレベルに達する事すらあるかもしれません。
 ですが、それは成長ではありません。むしろ、心はずっと成長しないこどものまま、ひたすら怒られることに怯えて死にもの狂いなのかもしれないのです。
 得てして、そんな人間が燃え尽き症候群に陥るものです。死にもの狂いで成功をつかみ取った人間が、様々なバランスを崩し転がり落ちるようにして転落人生を歩むのも、似たような教育を受けている可能性が高いです。
 最後に私が、これ程に衝撃を受けた言葉は無いという言葉を書いて本稿を締めます。

Nothing you become will disappoint me. You can’t disappoint me.
(あなたがどうなろうと私があなたに失望することはない。あなたは私を失望させることが出来ない。)