ウィンブルドンの男子決勝はフェデラーとチリッチの対戦でしたが、フェデラーの圧勝で幕を閉じました。今回はこの試合において、戦術や戦略を考えるうえで非常に大切なことを改めて痛感しました。それは、フェデラー側の戦術・戦略では無くチリッチ側の戦略・戦術を見て痛感したことです。

 私はチリッチは特に調子が悪かったとは思いません。第2セットの途中でアクシデントが有りましたが、それでも第1セットは両者イーブンな状況だったと思います。立ち上がりの数ゲーム、チリッチは全力を尽くしてプレーしているように見えましたし、実際互角のプレーを成し遂げていました。
 ですが、私はそこにチリッチがこの試合をどうやって戦うのか、フェデラーに対してどのようなプレーをし勝ち筋を見出すのか、という意思を見出すことが出来ませんでした。「ただ頑張っている」ようにしか見えなかったのです。
 そして私はこのような全力の出し方は、戦略としてはかなり悪い物だと考えています。そして、この決勝を見て改めてその考えを強くしたという事です。

 チリッチは足のマメが潰れ、全力のプレーが出来ない状況(その為に第2セットで取り乱してしまったとの事)があったことは確かだと思いますが、それを差し引いても勝ち筋は殆どなかったのではないかと思います。それ位に両者の戦略と戦術には大きな隔たりがあるように感じました。

 レベルが上がれば上がるほど、戦略及び戦術の重要性は増してゆきます。特に戦略がきちんと立てられていなければ戦術の選択ミスが増えますし、そうなれば必然的に要所でのポイント奪取率が下がります。強い人と良い試合はするけど勝てない人というのは、実力差もさることながら戦略的な視点が足りない事が非常に多いように感じます。

 戦略を考えるときに良く自分のベスト尽くせば結果はついてくるという人が居ます。しかし、この言葉を額面通りに受け取ってはいけません。というのは、自分のベストを尽くすというのはただ全力でプレーするという事ではないからです。
 自分の特性と相手の特性を把握し、なるべく自分に得意な土俵で勝負する事、相手の得意な土俵で勝負しない事が重要なのです。その為に、時と場合によっては自分がやりたいあるいは得意なプレーを封じる必要が出てくる場合もあります。そういった事を吟味し、自分の勝ち筋を明確にしたうえで全力を尽くすことが、自分のベストを尽くすことなのです。
 そして、試合が始まりお互いがぶつかり合う中で、相手がどのような戦略を立てどのような戦術を選択するのかを探ります。そこをいち早く看破し、自らの戦略や戦術の修正を行うべきかそのままでも良いのかを判断するべきなのです。

 ですが、私はチリッチの戦略はとにかく全てのポイントに全力を尽くし、ただハードヒットする事に注力していたようにしか見えませんでした。このようなやり方は、私は戦略としてかなり良くないと思っています。その理由は三つあり、一つはそのプレイが相手に必ずしも通用するとは限らない事(自分で考える最高のプレーが相手が最も嫌なプレーとは限らない)、もう一つは全力でプレーしているために視野狭窄を起こしやすくなり状況を的確に把握できなくなる事、そして残る理由にして最大の理由がそれでもしダメだった時に全く立て直せなくなってしまうという事です。

 自分の100%の力を出して勝ちに行って、そのプレーが通用しなかったらどうなるのか?たいていの場合、打ちのめされてしまい立て直せなくななるか、立て直せたとしても多くの時間が必要となります。自分でこれ以上のプレーを出来ない訳ですから当然です。要は「何をすればいいか分からない」状態に陥ってしまう訳ですね。
 自分が明確な戦略を持って臨めば自分の戦略を信じて続けるかあるいは考え直すかの選択が出来ますが、「全てにおいて頑張る」と代替案が全くなくなってしまうのです。

 一方のフェデラーの戦略及び戦術はどうだったか?これはもう非常に明確でした。ポイントはただ一つ、「チリッチに自分の態勢でボールを打たせない」、これにつきます。
 やはり、チリッチの万全の体勢からのハードヒットはフェデラーと言えども対応は難しいと考えたという事でしょう。それを実現する戦術は私が確認できた点で以下のようなものが有ります。

・ファーストサーブはワイドへのサーブを主軸にし、相手をコートから追い出すことを重視する。但し、チリッチのリーチが長いために一辺倒にならないよう注意する。
・上記の効果を高めるために、センターへのエース狙いのサーブも適宜使う。これが煙幕兼サブのポイント獲得手段となる。また、重要なポイントでワイドへのサーブが選択できるよう(その時に警戒されていないよう)な組み立てを心がける。
・セカンドサーブは確率を多少落としてでも強いサーブを打つ。その際に、ボディへのセカンドサーブを有効に使う。
・相手のファーストサーブのリターンは威力が高かろうと下がってリターンしない。リターンの返球率よりも上手く行った時に相手の態勢を崩すことを重視する。但しそこに一辺倒にならない(状況によっては返球を重視する事も視野に入れる)。
・相手のセカンドサーブのリターンは基本的にハードヒットする。ハードヒットできないまでも、常にセカンドサーブを狙っているという事を相手に意識させることでプレッシャーをかける。
・ストロークラリーでは常に先手を取って攻める。攻めはコースの精度よりもタイミングの速さとボールの威力を重視する。プレースメントはセオリー重視(オープンコートへの攻撃重視)。
・バックハンドのスライスなど遅いボールでつなぐことは、どうしようもない場面を除いて行わない。仮に遅いボールでラリーする戦術を取ったとしても、なるべく連続して同じ戦術を取らない。
・チリッチへの攻撃は自分のバックハンドを起点に攻める。特にバックハンドでボールの打点を前に取り早いタイミングでハードヒットするショットが重要性を持つ。
・サーブアンドボレーを含むネットへ詰める攻撃は自分が優位な時以外に行わない。
・攻撃に関して同じ戦術をなるべく続けない。常に戦術を変化させることで、チリッチが迷いを持つようにプレーをする。例えばストロークで優位に立っている状況が続くとサーブアンドボレーをする、ハードヒットで相手を押し込んでいる状況が続けばドロップショットを打つ、クロスコートへのプレースメントでポイントを取った次はストレートでのポイントを狙うなど。

 私が観察できた基本戦術はこんなところでしょうか。もっとも、これはあくまで私がそう感じたという事でもしかしたら全く見当違いなのかもしれませんが……。なお、これ以外にも多くの戦術があったんだとは思いますが、基本戦術というよりは臨機応変的な戦術に含まれるように思います。
 これらの戦術により、チリッチがきちんと体勢を整えてハードヒットする機会はかなり減っていました。チリッチは自らのサーブで優位になった時を除き、常に走らされ万全の体勢を作る事は殆どありませんでした。そして、その自分のサーブもフェデラーの驚異的な読みと反応により相当に苦しんでいました。それは試合のスタッツを見ても明らかです。
 均衡していたのは第1セットの序盤のみで、それ以降は自分のサーブはなかなかキープできず、フェデラーのサーブは圧倒的にキープされる状況が最後まで続きました。勿論そこに足のマメの問題があった事は確かでしょうがそれは理由の半分で、やはりそこにはフェデラーの戦術の巧みさと多彩さがあったように思います。一方でチリッチは、フェデラーに対抗するための戦略・戦術がきちんと練られていないと感じられました。
 付け加えると、チリッチが途中からサーブアンドボレーを多用しましたがあまり効果が有りませんでした。これはフットワークが万全でない為の苦肉の策だったこともありますが、何よりフェデラーには特別に対応を変える必要が殆どなかったからです。
 サーブアンドボレーへの一番の対処法は相手が前に出てくる前に足元にリターンを打ち込む事です。つまり、なるべく早い打点で打つためにポジションを上げる必要があります。ですがフェデラーは既にこれまでずっとポジションを下げずにリターンすることを心がけていたので、今まで深いボールを返していたものを相手の足元に沈める微調整をするだけで済んだという事です。
 これがもし下がってリターンをしていたらポジションを上げる必要が出る等大きな変更が必要になり、チリッチにとって本来のプレーではなくても一定の効果は出たのではないかと思います。

 これらを総合して、自分の思うようなプレーが出来なかった(させてもらえなかった)からこそ、足のマメが余計に気になったという面もあるはずです。
 一方のフェデラーは、これら基本戦術に相手が対応したとしても更なる変化を準備していたはずです。それが出来るのは常にクレバーかつ勇気を持った選択が出来る精神力がある事と、それを支える圧倒的な技術力があるからでしょう。そして、その自分の特性を誰よりも深く理解しているからこそ、相手に対して有効な戦略・戦術を考える事が出来るのだと思います。

 フェデラーがチリッチに対して戦略及び戦術で圧倒的に上回っていたことは、フェデラーが圧勝することになった重要なポイントの一つですが、もう一つ重要なポイントが有ります。試合が始まってお互いの戦略・戦術の効果の優劣がついた後も、チリッチの方にその状況に対応しようという動きが全く見られなかった事です。
 やろうとしたのは、ただ己のプレーの質を高める事で上回ろうとしただけで、戦略・戦術の変化は全くありませんでした(のちに苦肉の策でサーブアンドボレーをしたのみ)。それゆえに、優位に立ったフェデラーは最後まで特に戦略や戦術を考え直す必要がありませんでした。これが、圧倒的な差を生んだもう一つの要因だと思います。

 私は、フェデラーとチリッチの間には面でここまで差がつくような実力差があるとは思っていません。
 確かに技術の高さという意味ではフェデラーは突出していますが、そこにパワーやリーチ、身体能力等を加味すればチリッチに分がある面も多いです。しかし、それでもかみ合わなければここまで差がついてしまうという事です。特に現在は相手を研究する手段が豊富なので、戦略を立てる事を疎かにすると以前よりもはるかに劣勢に立たされる危険があると考えなければなりません。

 因みに一般的な競技者にとって、戦略や戦術を指導してもらうというのは中々難しいでしょう。勿論基本的な事は指導者に教えてもらえると思いますが、その選手に合った戦略・戦術となるとかなり難しいはずです。
 そこには選手自身の特性の把握と対戦相手の分析いう壁があるからです。これは、正直言って専属でもない限り限界があると思います。単純に技術的な得意不得意というだけでなく、思考の癖や好みなども把握しなければならないからです。
 よって結局殆どの人は自分で戦略や戦術を考え、実現させるための技術を磨かなければなりません。しかし、ただ頑張るだけでは限界があるという事を知らなければならないでしょう。