人によってはかなり反発を受けることがあるのですが、私は得られる結果が同じなら「楽であればあるほど良い」と考えています。但し、「楽であるほど良い」ですが決して怠けて動いてはいけません。得られる結果が低い物になってしまうからです。
 より詳細に言えば、「楽であるほど良い」ですが「より大きな労力を払えば大きな対価が得られる」ならばそれは怠けているだけだという事です。「楽に動ける」けれども「更に労力をかけてもパフォーマンスが上がるわけではない(あるいは下がる)」か「労力に対して得られる対価が全く見合わない」事が重要です。
 更にそれと関連して、ある動作をより少ない労力で同じパフォーマンスを得る事が出来ないかを探る事が、より良い技術の探求に繋がります。また、楽にできるかどうかという点において、以下のような視点は最終的には「否定されるべき」と考えています。もっとも、発達段階の途中においては有効だったりしますが。

(1)大きな手ごたえがある(フットバッグならば足ごたえというべきかもしれませんが、慣用句ですので悪しからず)
(2)力を籠めやすい(力感がある)
(3)動作がダイナミックに見える(動きが大きい)
(4)不必要に捩じり戻しを使用した動きを行っている
(5)明確な意識ポイントを消すことが出来ない(無意識化できない)

それでは、それぞれについて解説していきます

(1)大きな手ごたえを感じる動きを否定するという事
 最初から一番反発が大きそうな項目ですが、私は手ごたえを感じる動きは最終的に全て否定されるべきだと思っています。
 技術が未発達(未熟)な段階においては再現性を求めるうえである程度有効な点は認めますが、レベルの高い技術や安定した技術を習得するうえでは最終的に有害だと考える事、そして動作を楽に行う上では全くメリットが無いためです。
 そもそも手ごたえを感じるという事がどういう事かきちんと説明出るでしょうか。これについては様々な解釈があるでしょうが、私は「意識に偏りがある状態」であり「自分にかかる様々な負荷が偏っている」ことだと考えています。
 この状態を重視してしまうと、動作の安定に最終的に最も重要となる無意識化が著しく遅れてしまいますし、負荷が分散されず局所に偏るために、どうしても楽な動作を実現できません。
 手ごたえをを感じる動きを求める事は、その行為自体が楽な動作と無意識化とは反対のベクトルを持ちます。目安として初メイクあるいはその少し後位までは手ごたえを求める事は有効に働くでしょうが、それ以降はむしろ手ごたえを求める事が障害になるのではないかと考えています。
 本当にそうなのか、と疑問に思う人は歩く事を考えてみてください。歩くという動作は殆どの人が何ら意識することなく自然に行えているはずですが、「手応えのある歩き方が良い動き」等と言われたら多くの人が違和感を抱くのではないでしょうか。このように、本当に優れた技術はまるで歩くかのように、あるいは息をするかのように楽かつ自然に出来るものだと私は考えています。これが、私が手応えのある動きを否定する理由です。
 但し注意点として、先にも述べましたが「最終的に」である事に注意して下さい。特に初メイクを目指す段階においては、感覚を掴むことが最優先なのでむしろ手ごたえがある事が気付きを促すという側面も有ります。一見遠回りに見えるかもしれませんが、まずは手応えのある動きを追求し、その後にそれらを消していくという流れが現時点では最も近道ではないかと考えています。
 手ごたえを基に技術習得したからと言って、その後も手ごたえを重視して追求することは一定以上のレベルに達するに不都合があるという事です。

(2)力が籠めやすい動きを否定する(力感の否定)
 これについてはある程度競技レベルを高めた人は同意する人も多いんじゃないでしょうか。これがなぜかと言うと、人が力を籠めやすいと感じる部位はより感覚が発達した部位だからで、必ずしも力を発揮することに優れた部位ではない事、そしてそれら力を籠めやすいと感じる筋肉は動きに携わる筋肉の中でごく一部にすぎない事が理由です。
 代表的な部位は腕部ですが、概ねアウターマッスルと呼ばれる体の表面に近い筋肉は同じような傾向を示します。勿論すべてそうである、という訳ではないですが。また、全ての筋肉は主に働く動きが決まっており、力感を重視すると場合によっては目的の運動を阻害するケースすらあります。これは別記事で詳しく書きます。
 更に、力感を重視するとどうしても特定の箇所の筋肉に出力が偏ってしまいます。多くのスポーツにおいて単一の筋肉に頼った動作などほとんどなく、複数の筋肉の連動が必要な事からも、やはり力感を重視するとトータルでの出力が落ちるケースの方が多くなります。
 このあたりは甲野氏が著書でよく言及しているので、そちらを読んでも面白いかもしれません。
 言い換えれば、力を入れようとすればするほど、小さな力しか出せない訳です。多くのスポーツで脱力(無駄な力を入れないこと)が重視されるのもこの点が理由の一つです。
 一方で、大きな力を発揮できる筋肉はあまり力感を感じる事が出来ない事が多いです。これはその部位への感覚が未発達という事では無く、どんなにうまく使えている人でも殆ど感じ取れないはずです。最たる例は上半身と下半身を繋ぎ、身体で最も大きい筋肉と言われる大腰筋でしょう。大腰筋については、どんなに意識しても全くと言い程その存在を感じ取れないと思います。「そういう仕組みになっていない」のです。
 良く脱力の大切さを説くと「力を出さずにどう動けと言うんだ!」と反発する人が居ますが、その理由はここにあります。あなたが力感を求める限り、大きな力を出せる筋肉に動きを任せていないと同時に、参加する筋肉群が減ってしまうのです。
 大きな力を出せる筋肉に出力を任せ、更に各所の連動を磨き特定の箇所の出力に頼らず動けるようになると、本人としてはあまり力を出しているという感覚が有りません。だからこそ脱力を説くのですが、それは感覚上の話であり、物理的に力を出すなと言っているわけではないのです。
 実際の例で言うと、テニスだったらよく手打ちという表現がなされますが、力を籠めようとするあまり体幹部を上手く使えず、腕力だけで打とうとする打ち方を指します。そして、このような打ち方ではまず良い打球になりませんし、多くの場合ミスにつながります。たとえミスでなかったとしてもボールに威力は乗りません。なまじ力感が有りまた手ごたえも大きいのでいい打球を打っている気になりますが、相手からすればあまり伸びの無いボールになっていることが多いです。
 基本的に感覚が発達している部位は、感じ取る事やコントロールすることを任されるべき部位なのです(まったく力を出さないという訳ではないですが)。主要な力を生み出すのは、体幹を中心とした大きな筋力群を中心にし、なるべく多くの筋肉に参加させるべきです。
 それなのに、力感を重視した動作をしてしまうと、コントロールを司るべき部位で力も発生させようとする上に参加するべき筋肉の割合も減ってしまうので、大した力を出せない上にコントロールもおろそかになるというおまけがついてきます。これが力を籠めやすい(力感を感じやすい)動きを否定する理由です。
 この方向性で動きを洗練させると、本人はさして力を出していないように感じて動いているけれど、実際には大きな力を出せているうえにコントロールが効いており、更に疲れにくいという良いことずくめの動きになります。効率の良い動きという事もできると思いますが、これが出来ると出来ないでは全く競技レベルが変わりますし、こなせる練習量も相当な差が付きます。
 特に、高い負荷の練習やトレーニングをこなすためには、この動きを身に着ける事が大前提です。毎回毎回力んで動いていると、持久力がいくらあっても足りません。

(3)ダイナミックな動きを否定する
 これは(1)と(2)を突き詰めていくと自然に到達するはずですが、念のため解説しておきます。但し、特定の分野においてはダイナミックさや大きな動きが必要な競技もあり、あくまでフットバッグの競技特性としてはという話であると考えてください。
 例えば陸上の短距離走や投擲種目、ウエイトリフティング等の極めて短時間で爆発的な力を生み出す必要のある種目においては、顕著にダイナミックな動きが見られます。これらの種目においては何よりも最大限の出力が求められるために、より大きな動作やダイナミックな動作が求められるのです(限度はありますが)。
 しかし、ある程度の持久力が求められる競技においては、大きな動作は相応に持久力の消耗が激しいため、避けなければなりません。
 加えてフットバッグでは切り返し動作が多い競技であり、言い換えれば動く方向(力を出す方向)が頻繁に変化する競技です。このような特性の競技においては、ダイナミックな動きを行うとそれだけ切り返しの動きが難しくなることにもつながるため、大きな問題となります。
 もっとも、フットバッグは演技種目であるため、「技の美しさ」も求められます。ですので、ある程度は見栄えを良くするような取り組みも許容されるべきではあります。ですが基本的にはダイナミックな動きは減らすことが大切になるでしょう。その上で気を付けたいことは、その技がクリーンに見えるかどうかです。
 例えどんなに効率的な動きであったとしても、THEすれすれの動きはクリーンに見えないでしょうし、スラーリーになりすぎるのも同様です。無駄はそぎ落とすべきではありますが、やりすぎるとまた別の問題が出てくるという事です。ここが演技種目の難しさであると共に醍醐味でもあるでしょう。
 ダイナミックな動きは素人目に見ると格好良く見えるので、動きの派手な人に目が行きがちになりますが、実は「様々な技をなんてことのないように自然に出来ている」人が実際には見習うべきところが多いと言えます。「バシェクがやると難しい技が簡単に見える」という表現を耳にすることが有りますが、それは過度に大げさな動きが無く、自然に動けている事の証だと思います。
 またこれはテニスの例ですが、ロジャーフェデラーのフットワークが「ダンスを舞うかのような」と表現されることが有ります。これも、無駄な動きや力みなどが極限まで排除され、かつ自然に動いているために「走っている」というよりも「舞っている」ように見えてしまうのではないかと分析しています。

(4)不必要に捩じり戻しを使用した動きを否定する
 様々な競技で捩じり戻しを利用した動きが見られるために、何故これがだめなのかと不思議に思う人が居るかもしれません。これは、「何故捩じり戻しを利用した動作を行うのか」を理解せねばなりません。
人が随意筋で出力するときに、その出力の仕方は大まかに言って3つに分けられます。
短縮性筋収縮(コンセントリック・コントラクション)、等尺性筋収縮(アイソメトリック・コントラクション)、伸張性筋収縮(エキセントリック・コントラクション)です。これは、筋肉が力を発揮するときにその長さが縮むか、変わらないか、伸びるかの違いです。
 短縮性筋収縮はダンベルを使ったアームカールのトレーニングが分かりやすいでしょう。腕を伸展した状態から主に上腕二頭筋により力が発揮されダンベルを持ち上げるとともに腕が屈曲するので、力を出しながら筋肉は縮んでいます。このように「力を出して筋肉が縮む」動きが短縮性筋収縮です。
 等尺性筋収縮とはその名の通り、筋肉により力は発生していても、筋肉の長さが変わらない運動です。手のひらと手のひらを合わせ其々を強く押し付けるような動作をしてみてください。力は発揮されていますが、其々で拮抗しているために筋肉の形は変わりません。これが等尺性筋収縮です。
 最後に伸張性筋収縮ですが、これは力を発揮しているにもかかわらず筋肉が伸びて行く動作を示します。先述のアームカールで、ダンベルを上げきった状態を想像してみてください。この状態で動作者は上げきった状態を維持しようと力を発揮させます。この状態で、補助者がダンベルに力をかけ、腕が伸びる方向に力をかけて行きます。動作者は力を発揮しているにもかかわらず、腕は屈曲した状態から進展されるため、力を発生した筋肉が伸びています。このように力を発揮しながら筋肉が伸びる動作が伸張性筋収縮です。
 其々の動作は発揮できる力の大きさと筋肉に受けるダメージが違います。
短縮性筋収縮は出せる力の大きさは一番小さいですが、筋肉へのダメージも一番少ないです。また、スポーツにおいて行われる動作の主な部分の多くがこの形態により動きます。バットやラケットのスイング、走る、飛ぶ、投げる等の主動作は殆どここに分類されます。
 等尺性筋収縮は出せる力は短縮性筋収縮よりも大きいですが、筋肉へのダメージも増えます。これはボディコンタクトがあるスポーツや武道などでは頻繁に見られます。レスリングでの押し合いや剣道のつばぜり合い、バスケットでのポジション争い等ですね。
 伸張性筋収縮は出せる力が最も大きいですが、筋肉へのダメージも一番大きい動作です。またその事から容易に連想されるでしょうが、最も疲労がたまりやすい動作でもあります(より大きな力を出すのだから当然)。伸張性筋収縮は短縮性筋収縮との組み合わせでは多く見られますが、これのみで構成される動作はスポーツの場ではあまり見られません。アームレスリングで力を発揮しているにも関わらず負けるときや、格闘技で関節技をかけられた時に抵抗しているにもかかわらず極められてしまう時などが挙げられるでしょう。
 これら3つの動作携帯は、一応例を挙げましたがそれのみで構成される動作は殆どなく、あくまで主動作がどこに分類されるかという事で考えてください。

 ここまで解説してきて、ちょっと小難しい話が続いたかもしれません。良く分からなかったという人は、とりあえず「筋肉を伸ばしながら力を出すと大きな力が出るけどコントロールが難しいし、筋肉を傷めやすい上に疲れやすいよ」という事だけでも覚えておいてください。
 さて、ここまでの説明を踏まえて、捩じり戻しを利用した動作がなぜフットバッグに向かないのか、これはいくつかの理由があります。
 そのいくつかはこれまで行った説明ですでに出ています。まず、フットバッグには大きな力を出す必要が殆どない事が挙げられます。バッグの殆どが40~50g前後でとても軽いですし、自分の身体から遠くに飛ばす必要もありません。
また動作速度においても、急激な加速を必要とする動きは殆どなく、どちらかと言えば準備の速さとタイミングの方が重要です。
 つまり、わざわざ伸張性筋収縮を利用せずとも、短縮性筋収縮で十分という事ですね。それなのに、筋へのダメージが大きく疲れやすいというデメリットを抱えてまで行う必要は殆どないという事です。もっとも、全く伸張性筋収縮を行わないというのも実際には無理で比率の話にはなるんですが、少なくとも意識的には行おうとせずとも良いという事です。
 加えて、捩じり戻しを利用した動作はその為の準備動作(いわゆる体を捩じって力を溜める動作)が必ず必要であるため、即時に動きにくいという面もあり、フットバッグにおいてはむしろこちらが深刻になるかもしれません。一回一回のトリックにわざわざ時間のかかる準備動作を行うのは、シック1ならともかくトリックを連鎖させなければならない競技では致命的な欠点となります。
 更に、確かに大きな力とスピードをある程度両立させることが出来るけれど、その分コントロールを失いやすいという面も厳しいです。他の競技と比べてはるかに複雑な動きが多いフットバッグでは、コントロールを失いやすい動きはタイミングのずれやオーバーな動作を誘発します。
 更に、コントロールを失いやすいという事は体勢を崩しやすいという事でもあり、ドロップに繋がりやすいですしそうでなくとも高難度のトリックを連続しては行えない、むしろBOPでリカバリーがせいぜいという事になってしまうでしょう。

 むろん、clipper stallの形やスピンの始動の様に状況によりある程度体をひねった体勢は頻繁に表れますが、それはあくまで動作の形上要求されるものであり、捩じり戻し動作を行うための準備動作として体を捩じる訳では無いという事に注意した方が良いでしょう。
 かなり長い説明になりましたが、これが捩じり戻し動作を否定する理由です。

(5)明確な意識ポイントを消すことが出来ない(無意識化できない)
 これについては殆どの人に納得してもらえるんじゃないでしょうか。技術において意識ポイントを持つという事は良い事ですし、熟練した技術においては多数の意識ポイントが存在することが普通です。ですが、技術を一定以上のレベルで安定させまた持久力の消耗を抑える為には、それらの意識ポイントを無意識化できることが必ず必要となります(但し後述のように限度はありますが)。
 何らかのポイントを意識しなければ成功しないような技は、それだけでミスをする可能性が高まりますし、精神的な持久力(これは身体的な持久力とほぼイコールです)を著しく削ります。更に意識ポイントを消すことが出来ないという事はその動作が常に特別であるという事であり、それは楽な動作からは遠く離れた動作となります。
 また、一つのポイントに意識を割くことは、その分他の事への集中力を向けられないあるいは落ちることを意味し、無意識化されている他の技術にまで影響を及ぼすことも考えられます。
 例えばフリースタイルにおいて失敗する可能性のあるトリックを意識するあまり、普段ではミスをしないようなトリックでミスをする、という事は心当たりのある人が多いのではないでしょうか。
 更に、あるポイントを意識しなければいけないトリックは、成功率が精神状態に大きく左右されてしまう事も問題となります。大きな緊張を感じるような場面、特にJFCやWFC等の大会においては、無意識化されていない技を失敗する確率はかなり高くなります。
 あえて無意識化されてい技術にチャレンジすることで、逆に集中力を高めるトリガーとして扱うという方法もありますが限界がありますし、持久力を削るという面では何の解決にもなっていません。むしろこのような使い方をすると。持久力と集中力の消耗が一層激しくなります。
 これが、明確な意識ポイントを消すことが出来ない技術を否定する理由です。
 余談ですがあまり無意識化されていない(以前の記事での技術レベルで10の段階に到達していない)トリックをフリースタイルで使いたいのなら、チャレンジトリックとして1回、どんなに多くても2回とするのが良いでしょう。そして、それら2回においてもドロップの確率が非常に高い事を念頭に置かねばなりません。ただ、競う相手のレベルが高いとリスクを冒してでも攻めなければならない場面もありますので、ケースバイケース(絶対に取り入れるべきでないとまでは言えない)ではあります。