3-7 練習の量と質

 練習の量と質については、割と話題になる事が多いように思います。それは私が競技として取り組んできたテニスでもそうでしたし、フットバッグでもそう思います。
 確かに練習の量と質は部分的にトレードオフの関係にあることは事実だと思います。
 しかし、どちらを重視したらよいか?という質問に対しては、その質問自体が適当ではないと私なら答えます。
 そんな風にどちらを取るかというような(あるいはどちらかを取れるというような)簡単な関係ではありませんし、単純に相反するものでもないからです。
 ただまあ、それでもどちらかをと言われたならば、ひとまず量を重視することを勧めるでしょう。

 そもそも、練習の質が高いとはどういう事かという事について、きちんと説明した上でこの話をする人はとても少ないように感じます。
 因みにこれは私の経験上の話ではありますが、練習量の確保の大切さを説く人には一定の説得力がありまたきちんと結果を出している人がそれなりにいましたが、練習量よりも質を大切にしなければならないという人で、まともな論理展開を行ったり結果を出している人は少なかったです。
 一応質を重視する人できちんとした説明を行う人がいましたが、その人達はいずれも基準がもの凄く高いため、質を重視して減らした後の練習量ですら普通の人からすれば想像を絶するような練習量であった事を付け加えておきます。
 練習量より練習の質の大切さを説く人は、苦しい練習をしたくない言い訳に使っているだけというのが、少なくとも私が直接出会った人では多かったです。
 このことについてこれ以上云々する前に、練習の質が高いというのがどういう事かについて、ある程度定義しておきたいと思います。

(1)単位時間当たりの練習量が多い(密度が濃い)
 これは例を挙げると分かりやすいと思います。
 例えば1時間の練習で同じ強度の練習を行っている人が二人いるとして、片方はトータルで45分間蹴って15分休憩、もう一方はトータルで30分蹴って30分休憩だとしたら、
 どう考えても前者の方が質が高い練習をしていることが分かると思います。
 あるいは、全く同じ練習内容を一方は30分かかり、もう一方は15分で終える、というようなケースもこちらに当てはまります。
 この方向性で練習の質を上げるには、持久力の最大値が高いこと、持久力の消耗量が少ないこと、技術的な安定性が高いこと(ドロップが少ないこと)が必要になります。

(2)下位互換性のある上位技術を練習できている
 こういう書き方をすると良く分からない人が居るかもしれませんので、例を挙げます。
 ある人はクリッパーのみ交互の練習を100回程度行ったとします。もう片方は、クリッパー交互を50回、クリッパーのストールとセットの感覚の延長線上でダッキングクリッパーを50回交互行ったとしましょう。
 そして、ダッキングクリッパーで得られた技術的気づきがクリッパーストールとクリッパーセットへフィードバック可能であったとします。
 どちらの練習が質が高いですかと聞いたら、多くの人は後者の人の練習が質が高いと思うのではないでしょうか。
 尚これはあくまで同系統の上位技術だから比較できる事であって、別系統の技術では一概に言えません。
 バタフライの練習よりパラドックスワールの練習の方が質が高いとは言えないという事ですね。
 この方向で練習の質を高めるためには、技術力の高さ(難しい事が出来る)と、技術に対する理解力が必要です。
 上記の例で言えば、ダッキングクリッパーはクリッパーストールの精度とクリッパーセットのコントロールが、通常のクリッパー交互の練習よりも高いレベルで求められると同時に、延長線上にある技術であるという事を理解しているかという事ですね。

(3)一度に多要素を含む練習を行う事が出来る
 これは(1)や(2)とかなり重なる部分があります。
 例えばクリッパー練習の構成要素は、クリッパーストールとクリッパーセットのみです。
 これがスピニングクリッパーだと、クリッパーストールからの始動、クリッパーセットとその応用としてのスピンのセット、スピンが終わった状態でのクリッパーストールが構成要素となります。
 メイルシュトロームなら大雑把にいえばクリッパーストールからの始動、スピニングダッキングセット、ダッキングからのパラドックスワール、クリッパーストールが構成要素となり、 スピニングダッキングセットやダッキングからのパラドックスワールは更に複数の要素から成り立っています。
 必ずしも多要素を含む技術を練習することが質の高い練習と言えるわけではありませんが、基本的には要素が多いほど一度に多くの要素を鍛えられるため質が高くなりやすいです。
 また、非常に多くの技術要素があるフットバッグにおいては、ある程度練習を統合する(別記事で詳しく触れます)ことをしないと、練習時間がいくらあっても足りません。
 今回は簡単にあげますが、例えばダッキングクリッパー交互100回と、バタフライ交互(インフィニティ)100回で合計200コンタクト練習しているとします。
 両方ある程度の実力が付いたら、これをダッキングバタフライ交互100回に統合します。これで、ダッキングクリッパーの練習とバタフライの練習を両方含んでいると解釈します(もちろんダッキングバタフライそのものの練習にもなります)。
 そしてその事により確保できた空き時間を、別の技術を練習することに回します。こうすることで、練習密度を高めつつなるべく練習量を減らさずに他要素を練習することが可能になります。
 ダッキングクリッパーとインフィニティそのものの練習と全く同じ効果が得られるわけではありませんが、近い効果は得られますしそれ以上に得られるメリットがかなり大きいです。
 但し、時々は基本に立ち返り、ダッキングクリッパーやインフィニティの感覚がどう変化したか確認することは必要になるでしょうが。
 この方向性で練習の質を高めるには、技術力の高さ、技術に対する理解、練習を工夫する意識が必要になります。、

(4)確かな練習を行っている
 例えばクリッパーの練習を100回行ったとします。
 特に深く考えずに100回やる事だけを念頭に、1回1回を軽く考えて行っていたならば、それは質の低い練習だと言わざるを得ません。
 1回1回のクリッパーに集中して取り組み、成功と失敗にそれぞれ理由を見つけ、常に自分の技術を改善するためのフィードバックを行い続けていれば、それは質の高い練習と言えるでしょう。
 このように、個々の練習をおろそかにせず、全ての練習に対してどれだけ深くやれるかという視点が確かな練習を行うという事です。
 この方向性で質を高めるには、技術に対する理解、精神的な成熟、問題解決意識(意識の高さ)が必要となります。
 特に成長速度が速い人は、このことを無意識に(自然に)できている人が殆どです。

(5)技術に対し多くの視点を持てる
 これは(4)とかなりの部分で重なります。
 例えばクリッパーの練習をするとして、どのくらいのポイントを意識して練習することができるか。
 ストールするための体の使い方、バッグの勢いの吸収、次のセットへの準備位の意識するといった程度、かなり少なく質が高くないと言わざるを得ません。
 セットしたバッグが落ちるタイミングとストールするタイミングの合わせ、軸足とストールポイントの位置関係、重心位置の遷移、ストール動作の最小化、無駄な力みの排除、ストール足の準備するタイミング、バッグの乗せる位置、ストールしたときの態勢とバランス、ストールを行うという動作と次のトリックの始動の融合など等。
 挙げるときりが有りませんのでこのあたりで止めますが、クリッパー一つとっても非常に多くの技術的なポイントがあるという事です。
 勿論、それぞれを厳密に一つ一つ動作の中で意識しながら動いているわけではなく、特に技術力が高まれば高まるほどそれらの大部分は無意識的に並行して処理されます。
 しかしこれらの意識ポイントが多ければ、失敗したときに何が悪かったのかに気付きやすくなりますし、自分の失敗パターンに気付くこともできるようになります。
 ひいては、自らの欠点に気付き、それを修正することも容易になるはずです。
 そして、今まで無意識に行っていた欠点を意識化して練習し、修正が終えたら再度無意識化するという流れで技術力を高めるとともに、その安定性も高めることが出来るでしょう。
 この方向性で練習の質を高めるには、技術力の高さ、技術に対する理解、問題解決意識、動作分析をする力が必要となります。

(6)練習する課題が明確であり、短いスパンで循環している(規律がある)
 人が技術を高める方法としては、基本的に何度も反復して練習するしかありません。
 ですが、何を練習するかという課題を明確にせずに練習していると、練習内容が一定に定まらず散漫な練習になってしまいます。
 例えば1週間のうち2日ピクシー関連の初メイク狙いの練習し、次の2日はアトミック関連、その次はステッピング、そういえばワールもやりたかったと次はワールに‥‥といった感じ。
 これでは仮にある程度の技術的な気付きが得られても反復されない為、技術が安定せず場合によっては退行する(もとに戻る)可能性すらあります。
 ですので、何を重点に練習するかをきちんと決め、どんなに長くとも1週間では循環するように練習計画を立てた方が質の高い練習になるでしょう。
 個人的には、ある程度のバリエーションを付けた上で2日~3日で循環する方が良いと思っています。
 また、基本的に技術は継続して練習し間をおかず反復する方が上達しやすいですし、忘れにくくなります。
 例えば練習が3日で循環するとして、ピクシー関連100、アトミック関連100、ステッピング関連100の量を練習するとした場合、1日目ピクシー関連100、2日目アトミック関連100、3日目ステッピング関連100の循環とするよりは、1日当たりピクシー関連33(34)、アトミック関連33(34)、ステッピング関連33(34)を3日間練習するとした循環の方がより高い効果が望めるでしょう。
 もっとも、これについてはあくまで基本的にその傾向があるというだけで、必ずそうした方が良いと言い切れるわけではない場合もありますが。
 この方向性で練習の質を高めるには、計画を立案・調整する力と、反復練習を厭わない精神的な強さが必要となります。

(7)目的と合致した内容の練習やトレーニングを行っており、適切な負荷がかかっている
 フットバッグの練習だけを例に挙げるだけだと何なので、今度はトレーニングで例を挙げてみましょう。
 まず、目的に合致しているかどうかという視点から。
 持久力を鍛えるために心肺機能を強化するメニューを考えるならば、当然心肺機能に負荷をかけるトレーニングを選択しなければなりません。
 例えばそれはインターバルトレーニングであったり、速い速度でのランニングであったりするでしょう。
 しかし、その目的でトレーニングを行うのに、遅いスピードでのランニングを選択したとするならば、目的に合致しているとは言い難くなります。
 トレーニングは何を鍛えるかという意識と、鍛える手段が合致していなければ高い効果が見込めません。
 また、心肺機能に負荷をかける為にインターバルトレーニングを選択(ここでは200mのインターバルトレーニングを5本とする)したとして、適切な負荷がかかっていないと質が高い練習とは言えません。
 今回の場合においては、高い心拍数になるような負荷で走らなければなりません。具体的には、心拍数が170~180程度まで上がるような速度で走ることが必要です。
 この時、割と勘違いしている人が多いのですが、記録が良いことが質の高い練習となるわけではありません。
 例えばある人が200mを5本とも30秒に揃えて走れたとしても、心拍数が160前後までしか上がっていないならばあまり質の高いトレーニングとは言えませんし、逆に別の人がタイムは36秒程度でしか走れなかったとしても、全体的に心拍数が170を超えていくようなインターバルになっているならば、それは質の高いトレーニングと言えるでしょう。
 この方向性で練習の質を高めるには、技術や身体機能への理解、精神力の強靭さ(単なる強さとはちょっと違う)、計画を立案・調整する力が必要なります。

(8)練習内容が事前に作成され、定量的な内容となっている。
 これはとても基本的なことのようですが、非常に重要です。
 その日の練習内容を練習開始まで考えていないという事は、課題が何かという事を明確に考えていないという事であり、ひいては長期的なプランも策定できていないという可能性が高いからです。
 目標を達成するためには、長期的な視点と逆算する視点が欠かせません。
 どのような技術が必要か、その難易度はどのくらいまでか、安定度はどの程度か、そういった諸々を具体的に見積もり、その習得に向けて段階を踏まなければならないからです。
 つまり、きちんと必要な事が具体的に見積もられていれば、後はそれが必要な期日までの日数を考えて逆算することで、どの時期にどんな練習をするべきかは具体的に決まっていきます。
 逆にそのあたりが明確になっていなければ、どんなに日々の練習に力を注ぎこんだとしても、あまり上達へ結びつかず空回りの日々となるか、本来達成したいはずの目標とはベクトルがずれ、見当はずれの練習になる等質の低い練習になってしまうでしょう。
 もっとも、これらは厳密に数字で導き出し論理的に計画を立てる人もいれば、感覚的な理解をもとに大まかな工程をイメージで計画を立てる人もいます。
 どちらかと言えば前者のような方法が望ましいですが、後者のような方法が上手く行きやすい人もいますので、それぞれの個性によるでしょう。
 但し、後者の方法できちんとした計画を立てまた実践するには、かなり高いレベルの実力が必要です。
 少なくとも、きちんと目標達成のイメージが具体的にわかない人は、前者の方法で設定した方が良いと思います。

 また別の視点から見ると、まず練習中に練習内容を考えている時間そのものが無駄です(事前に考えておけばその分を練習に回せる)
 更に、練習中は当然疲労がある状態なわけで、その分思考力は落ち的確な練習が考えられない可能性が高まります。加えて、疲労がある状態では無意識に楽な練習を考えてしまいがちにもなるので、その面からみても好ましくありません。
 また、定量的というのは言い換えれば計測可能な練習を考えているか、という事です。
 例えばワールを上達させるための練習を行う、というのは計測可能ではありませんが、ワールを左右とも100回ずつ一日の練習の中で行う、というのは計測可能です。
 これはあくまで一つの例ですが、こういったように必ず定量的な練習にする必要があります。そうしないと、どの位の練習を行ったら自分がどれ位成長するのか、という点が可視化されないからです。
 自分の目標を定めたら、まずは必要な練習を暫定的にでいいので定量的に見積もってみます。後はそれに取り組む中で自分の成長を確認し、適宜修正や新たに思いついた工夫などを盛り込むことで、練習内容をブラッシュアップしていきます。
 この方向性で練習の質を高めるためには、計画を立案・調整する力、精神的な強靭さ、セルフコントロール能力、練習のモジュール化(別記事で詳しく説明します)等が必要となります。

(9)予想外のことに対応できるような柔軟なプランが立てられており、また自分のモチベーションを保つ工夫がされている
 (6)~(8)と関連しますが、人は計画を立てる際に理想を追い求めすぎて、遊びの無い計画を立ててしまいがちになります。
 しかし、そういった計画を立てると、ちょっとしたアクシデントでもリカバリーがきかず計画が崩れてしまい、最終的に計画自体を守らなくなってしまい結局練習の質を落としてしまいがちになります。
 その為、計画を立てるとき予想外のことが起こったり、計画通りに進捗しないことをあらかじめ織り込んでおく必要があります。
 そして、そういったことが起きたらどう対処するのかをあらかじめ決めておき、場合によっては計画の修正を行うなど柔軟な対応を行う事が必要となります。
 ちなみに修正を行う場合は、その修正は本当に必要なものかどうか厳しく見極めないといけません。単に苦しいことから逃げたいがために修正してしまう事も往々にあるからです。
 また、モチベーションを保つ工夫も非常に大切です。
 人は、何かに取り組むとき楽しんでやっているときが一番成長しやすいと言われています。人によってはモチベーションに頼ること自体が問題で、必要なのは規律だと言う人もいますし、その主張自体も理のあるものだとは思います。
 しかし、苦しいこと、辛いことに取り組めば必ずしも成長するわけではありませんが、どうしても負荷の高い練習が必要になる以上、精神的にも身体的にも非常につらく苦しい状況が繰り返されます。
 その時に、苦しいことを苦しい、やりたくないという意識のまま我慢して行うのは、悪いことではありませんが良いこととも言えないのです。
 理想は、そういった負荷の高い練習やトレーニングを、自らやりたいと思ってやる、楽しんでやるような工夫が出来ることです。
 言うは易し行うは難しで、これは非常に難しいことですが、この工夫が出来たり苦境を楽しめるような人は、本当に驚くべき速さで成長していきます。
 苦しい状況、辛い状況を、苦しい・辛いと感じたままその状況を続けられるような人はそうはいません。
 誰しも苦境からは逃げたくなるし、楽な方を選択したくなります。
 それをただ我慢する、頑張って乗り越えるというような考え方では練習の質は決して上がりませんし、どこかで折れてしまう人が大半でしょう。それは、その苦しさを乗り越えた先に得られる対価が分かっていたとしてもです。
 この方向で練習の質を上げるためには、計画を立案・調整する力、深い自己分析力、創意工夫する力(想像力)、精神的な強靭さ、セルフコントロール能力が必要となります。

 以上9点あげました。
 これらはあくまで私が経験したことや学んだことをもとに、現時点で気付けていることを挙げただけにすぎません。
 ですのでもっと様々なポイントがあって良いですし、統合したり別の視点を加えたりするのも十分ありです。但し、話を進めるためにひとまず今は以上の9点が必要な視点だとします。

 さて、これらのことを意識したとして、すぐに全ての点を意識し質を高められる人はいるでしょうか。また、上記のような観点から、質を上げようと思えばいくらでもあげられる人はいるでしょうか。
 勿論、すぐに意識して質を上げられるポイントや、改善できるポイントもそれなりにあるでしょう。しかし、それらの点はすぐ取り組めたとしても、やがてすぐに頭打ちになるはずです。
 むしろ上記の点の多くが、すぐには実現できない、あるいはやり方が分からない事ばかりという人も少なくないはずです。
 それではどうするかというと、これはもうひたすらに試行錯誤するしかないんです。
 現時点で出来る範囲で計画を立て、実行し、結果を検証しフィードバックを行い改善する。それは自分のフットバッグのパフォーマンスだけでなく、計画や練習内容の策定する能力など全てにおいて実践しなければなりません。
 その繰り返しを何度も行う事で、ようやく練習の質が上がるんです。

 これらの点から、練習の質を高めることは、自分のパフォーマンスを高める事そのものじゃないかと思った人もいるかもしれません。
 パフォーマンスを高めるために質を求めるのに、質を上げるためにパフォーマンスの向上が求められるのはおかしいのではないかと。
 しかし、それは少しもおかしいことではなく、むしろそう思うのは練習の質を高めるという事を勘違いしているだけです。
 練習の質を高めるという事は、フットバグのみならず自らのあらゆる面でのパフォーマンスの向上させる事とほぼ同義なんです。
 そして、その手段は絶えず試行錯誤と反復を行うしかないという事です。少なくとも、現時点でそれ以外の手法を編み出した人はいません。

 とても端的に言ってしまえば、練習の質は膨大な練習量をこなすことで(そして自らのあらゆるパフォーマンスを高める事で)しか上がらないという事です。
 また、よく勘違いしている人が居ますが、練習の質を上げても練習内容が楽にはなりません。
 そもそも、人は与えられた負荷に応じて、自らの身体なり技術なり精神なりを発達させていきます。つまり、質の高い練習(より成長する練習)とは、言い換えればより負荷の高い練習だという事です。
 もっとも、かける負荷にも種類があって、詳しくは別記事で解説しますが、例えば技術的な負荷が高くとも身体的な負荷が高くないという練習はあり得ます。
 そういった練習ならば、身体的な辛さはそこまで感じないけれど、目に見えて成長するという事は短期間においては起こり得ます。ですけどそれにも限界はあって、結局は練習の質を上げることを考える限り、練習内容(様々な負荷)が厳しいものになることは避けられません。
 練習の質を上げれば楽に効率的に上手くなれるというような、まるで魔法のような事を主張する人が居ますが、そんな事はあり得ません。
 質を上げると効率的になるという面は一致しますが、負荷の点から見れば楽になるどころか厳しさがどんどん増していき、それは際限がないからです。
 また、これらのことを考えれば、よく「実力が劣るものは実力が勝るものよりも多くの練習をしなければならない」と言われるのは、根性論などではなく実に理にかなった言葉だという事もわかります。
 上記のことを考えれば、基本的に実力が勝る者の方が実力が劣る者よりも高い質の練習を行えることになりますし、実際に殆どの場合においてその傾向が見られます。
 実力の劣るものは練習の質で追いつくことが非常に困難なのに、練習量すら確保できないとなれば、追いつくどころか引き離される一方になるでしょう。
 練習量の確保の大切さを説く人は、上記のようなことを意識的にしろ無意識的にしろ理解していることが殆どです。
 また、往々にして練習量の大切さを説く人が、練習の質の大切さを説く人よりも質の高い練習をしている事が多かったりもします。
 これも、上記のことを考えれば当然の事です。

 但し、練習量のみを重視し練習の質を改善しようとしない姿勢もまた、戒めるべきものであることは常に心のおいておかなければなりません。
 練習の質が上がっていくという事は、練習の密度が高くなることや内容が深くなること、あるいは負荷が高まることを意味し、言い換えれば実質的な練習量やトレーニング量を増やすのと同等の意味を持つからです。
 例えば質の高い練習3時間を行っている人と、質の低い練習を3時間行っている人では、時間としての練習量は同じでも、実質的な練習量では明らかな差が出ます。
 一日の長さは決まっており、更にその中で純粋に練習やトレーニングに割り当てられる時間は限られています。ですので、単純に練習量を時間の面で確保するのは限界がある以上、その限られた時間の中でどれだけの負荷がかけられるのか、という事が重要になるのです。
 練習の質を高める事ができない人は、一定以上は実質的な練習量を増やすことが出来ないことを意味し、結局は練習量の不足を招いてしまいます。

 つまり、練習の量と質はお互いに密接に関係しており、どちらもおろそかにして良いものでは無いという事です。
 多くの練習量をこなすことで練習の質を高め、質が高まる事でまた実質の練習量が増える、その結果また質が上がり……という循環を形成することが、成長速度を高めることに必須だからです。

 但し、一般的に練習の質を高めることを、意識的にしろ無意識的にしろ、行わない人はまずいないと言ってよいと思います。
 そもそも練習をすること自体が上手くなるためであり、その為に試行錯誤することは自動的に練習の質を高めることに結び付くからです。
 もっとも、一定以上のレベルに達するためには意識的に自分の練習を見つめなおす必要が出てくることも事実であり、また無意識にやるだけではどうしても偏りが出ることも避けれません。そしてこの部分を意識的に改善出来るかどうかが、中級車と上級者を分かつ壁になります。
 一方で、練習量を多く確保するという事は、意識的に行わないとおろそかにしてしまう事が多くなります。
 基本的に人は楽をしたい、言い換えれば苦しいことしたくないと考える人が多く、そして練習量を増やすという事は端的に自分に対して負荷が高まることを意味するからです。

 先にも述べたとおり、いきなり練習の質を高めようとしても限界があり、そこに達した時点で更なる質の改善を考えても徒労に終わります。
 なぜなら、それは泳げない人間を海に放り込んでさあ泳げというようなものだからです。また、仮に改善点を見出せたとしても、それを実行可能かどうかはまた別の話です
 自分が意識して質を高められる限界、あるいはその近くまで来たと感じたのならば、後は可能な範囲で量を確保するしかありません。その繰り返しの先に自分の成長があり、そうして成長して初めて更なる質を追求できるようになっていることに気付くはずです。
 この循環を形成することができれば、成長速度はどんどん増していきます。
 逆にこの循環を形成できなければ、いつまでも成長速度を高められず、いずれは成長が頭打ちとなるでしょう。

 練習の質について本質を理解しないまま練習の質を求める行為は、上記の循環形成の阻害要因となることでしょう。
 練習の質を求めるという事は、基本的に練習量を減らすことや楽にする事ではありません。
 むしろ、より多くの練習量(試行錯誤)を必要とし、負荷の質も厳しさを増すという事を、理解しなければならないのです。

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